風と日まわり〜日常編〜

日本一周自転車旅行記。(2004年5月出発〜2006年12月1日帰宅)
旅先で出会ったさまざまな出来事を書き留めていました。

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オススメ作品
風雨来記
風雨来記 (JUGEMレビュー »)

北海道を旅するゲーム。
「旅」とは何か、人はなぜ旅をするのか。
旅の楽しさ、そして哀しさが、美しい写真とともにたくさん詰まっています。
オススメ作品
ニライカナイをさがして
ニライカナイをさがして (JUGEMレビュー »)
葉山 透, 山都 エンヂ
沖縄を舞台にした、ロードムービー風青春恋愛小説。
読後感爽やかなライトノベル。
オススメ作品
レキオス
レキオス (JUGEMレビュー »)
池上 永一
沖縄本島で繰り広げられる大活劇。
クセのあるキャラクターがこれでもかと登場する恐ろしい(笑)おはなし。
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オススメ作品
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ハイドゥナン (上) (JUGEMレビュー »)
藤崎 慎吾
与那国島を主舞台にしたSF小説。
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風雨来記2 (JUGEMレビュー »)

「みんなが、知らない、オキナワ。」
西川が愛してやまないゲーム「風雨来記」の続編。
今度の舞台は沖縄!
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新しい日常(ひまわり)

いつもの日常をちょっとすてきな旅にしてくれる、新しい相棒が来ました。
旅は、終わらない!

http://nisieto.blog.jp/
新展開


まもなく新展開。わくわくします。

リトルトリップです。

2012年5月3日から、
三週間ほどですが、ペルー旅行に行ってきます。
どれくらい書ける機会があるかは分かりませんが、
出来れば今回も旅行記書こうかと、ブログを作りました。

 http://plaza.rakuten.co.jp/whorai/

先ずは、憧れのマチュピチュに行って、
そのあとのことはおいおい考えます。
とりあえず、生まれて初めてパスポート取得しました!

くっしいは友人に預けて。
今回は旅のお供に、Q2を連れて行く予定です。



<hr>






「縄文展」
20070214_340711.JPG
大阪の歴史博物館で青森の縄文文化展がひらかれているらしい。
今週末、見に行きたい。

縄文時代には古臭いとか原始人みたいな印象を持つひとが多いと思う。
まあそういう面も当然あるのだろうけど、でも、知れば知るほど魅力的な時代だ。

生活を便利にするために、自然にあるものをさまざまに加工した。
世界に先駆けて土器を作り、それは実用重視のものと芸術性を高めたものとに分かれていった。
まじないの観点からか、アクセサリーを身につけた。
墓は集落の中心にあり、現代とは死生観が全く違った。
野草や栗の木を集落で栽培もした。
犬は、人に足りない感覚を補う、生活に関わる大切な相棒だった。
貝殻や土器などの、ゴミ問題にも悩まされた。
自然との距離が近かった。

縄文時代のメインスポットは東北・北海道と、南九州。
特に青森には三内丸山という五百人単位の人間が住む集落がある。
今回の特別展、かなり楽しみだ。

- | 17:07 | comments(0) | -
「永遠の走馬灯」
車を運転中、衝突事故にあうその瞬間とか、高いところから落ちてしまったときとか、生命の危険を感じたとき、周りの風景がスローモーションのように見えたり、それまでの人生が走馬灯のように(どうでもいいけど古くさい例えだ。いまどき走馬灯なんてどこで見られるんだよ)頭の中をよぎっていったりするという話を聞く。
脳みその中の普段は使われていない部分が、そのときだけ活性化されるのだろうか。


しかしながら……
絶体絶命の瞬間、時間感覚が鋭敏になるとは言っても、身体能力や運動神経が上昇するわけでは無いので、事故を回避したり、飛んでくる弾丸を摘みとったり、超必殺技を放ったりすることはできない。

よくよく考えると、危険状態でのこの脳の活性化というのは、何の訳にもたたないのだということに気付く。
別に危険を回避するための力では無く、ただパニックに陥った脳みその中の記憶の引き出しがひっくり返ったものに過ぎないのかもしれない。


だがもしも、「スローモーション」や「走馬灯」の状態へ普段から任意に覚醒することが出来るようになれば、どうなるだろうか。
いや、それは出来なくとも、危機状態のその一瞬に、活性化した脳を方向性を決めて使用することができたなら、どうだろうか。


例えば、刀を持った侍が突如として現れ、目の前の少年に切り掛かる。
死を覚悟した少年は、一瞬のうちに自分の人生を振り返り、さらに勢い余って有り得たはずの未来にまで飛んでいき、そこで少年は謎の仙人と出会い、厳しい修業を積んで最強の拳法を編み出したところで意識が現世に戻り、侍の斬撃をかわして反撃する。

……みたいな「時間モノ」を描けるかもしれない。



時計が刻む時間はあっても、その時間を……例えば一分を長いと感じるか短いと感じるかの時間感覚というのはあくまで「自分の感覚」だから、自分の思い込み次第で、一瞬の刻みを永遠に引き伸ばすことだってできるかもしれない。


もしも夢を自由にコントロールできて、なおかつこの時間感覚を思い通りに操ることができたとしたら、永遠に続く楽園は、どこか遠い場所ではなくて、自分の中にこそ存在するんじゃないか。

そこはとても幸せに満ちているかもしれないけれど、でも…………


…………

- | 12:14 | comments(0) | -
「夢の時間感覚」
夢の中で感じられる「時間」には限界があるんだろうか。
脳の処理できる情報量には限りはあるだろうけど、取捨選択がうまくいけば、一時間の睡眠で一生を振り返ることくらいできるかもしれない。


現実の時間は一日24時間。
でも、夢をうまくコントロールすることが出来れば、感覚的には人生を数倍の密度で過ごせるんじゃないだろうか。

……できればいいなぁ。



えいえんはあるよ…

- | 05:15 | comments(0) | -
「記憶の居場所」
記憶ってどこにあるんだろう。
例えば、何かのきっかけで自分が記憶をすべて失ったとする。
もしその状況から、自分の記憶を取り戻そうとするなら、自分の書いたものを読み返したり、自分を知っている人から話を聞いたりするほかないのだろうけど、そこから出来上がってくる「記憶」というのは、まず確実に、元のそれとは別ものになってしまうはずだ。

かと言って、逆に自分以外のすべての世界が崩壊して自分しかいなくなったとしたとき、自分の中にある「記憶」が、自分のすべてを説明するかといえば、決してそうじゃない。
自分の無意識にやったこととか、とるに足らないことなので忘れていたこととか、斜め上から見下ろした自分の顔だとか、周囲の視点の中にも、自分を表す「記憶」のカケラはあるのだと思う。

だから、死んだ人は残された人の心の中に生きているというのは、あながち間違いじゃない。
本人と、その人を知る周囲の人間すべてがいなくなったときこそ、その人の本当の死なんじゃないだろうか。


これは西川のごくごく勝手な思いつきだけど、霊媒師……例えば、東北のイタコの口寄せ、がなくなった人の霊を降ろすというのも、霊界から魂を呼び寄せるというより、目の前の依頼者の「内」にある「記憶」、というか故人への想いを読み取って、それを自分に宿らせる力なんじゃないだろうか。
そう考えたほうがしっくり来る気がする。
そもそも、「内」の記憶が、必ずしも「外」の記憶と合致するとは限らないんだから。


AさんとBさんは親友同士でした。
とても仲良かったふたりでしたが、実はAさんは心の中ではBさんを大嫌いでした。
ゴキブリ以下だと思っていました。
会った日は二時間以上風呂に入って体を洗わないと気がすまないくらいでした。
そんなある日、風呂場で石鹸にすべって転んで洗面器に頭をぶつけたAさんはなくなってしまいました。
Bさんは嘆き悲しみ、有名な霊媒師にAさんにもう一度だけ会いたいとお願いしました。

・霊媒師の力があの世から魂を呼び寄せる力の場合
A「今だから言うけどこの虫ケラめ!お前なんか大嫌いなんだ!
 俺が死んだのも汚いお前臭を洗い流そうと風呂に入り浸ったせいなんだよこのくず!」
B「Aはこんなやつじゃない。何が有名な霊媒師だ、金返せ!」

・霊媒師の力が目の前の人の記憶から、亡くなった人を再現する力の場合
A「B。お前は俺のぶんまで長生きしてくれ。
 お前は……長くはなかった俺の人生で最高のダチだったぜ」
B「Aぇぇぇぇぇ!」



もしかしたら霊媒の中には、「亡くなった人間本人」しか知りえない情報を告げるものもあるかもしれない。たとえば宝の場所だとか。たとえば秘伝の技だとか。
それにしても、残された周囲……人やもの、自然、形あるものに限らず……から記憶を引き出し、様々な要素や不確定事項をも加えた高度な情報処理の末に当人の内面まで含めて導き出された、限りなくオリジナルに等しい推論の結果だとも考えられる。




もしそんなことが出来るとすれば。
つまり、現在の状況から、亡くなった人の記憶をそっくりそのまま再現することができるとするならば、それは、「死後の世界」は今まさにここにあるのだと、そう言ってもおかしくは無い気がする。
世界に解けた、人を表す記憶。
それが「霊」というものなんじゃないだろうか、とも。

もっとも、この考え方だと、生きているときにも「霊」があることにもなってしまうけれど、まあ、生霊とかドッペルゲンガーとか、生きてる人の幻を視るという説話も多いわけだし。
源氏物語なんかにも出てきたし、沖縄の離島では未だに、人は生きながら「マブイ」という魂を落とし、ほうっておくと惚けたようになるほか、マブイが体を持って勝手に歩くようになるなんて話があるのだ。
やはり、「自分」は中だけでなく、外にもあって、自分自身と、自分外身を合わせて初めて、この世界に生きている「自分」という存在を、表現することができるんじゃないだろうか。


個人的には結構しっくりくる仮説なので、いつか万が一、自分の記憶が吹っ飛んだときに(というか常時忘れっぽい人間だし)取り戻せるよう、記憶装置のひとつとして、ここに書き込んでおく。




追記
外部の記憶というものをつきつめて考えると、人、動物に限らず、すべての存在に「記憶」が存在しうることになる。
ただの石ころだって、石ころ自体に記憶は無くても、周囲から神が宿る石だと認識され続ければ、それは「神の石」としての記憶と意識と存在感を持つ。
花だって、自分が愛してやって、花が元気に育っていれば、「花が喜んでいる」という自分の認識の下、「花の記憶」が形作られていくわけで。

キーワードは「認識」、それに「感情移入」なのかな。
対象を認識し、そこに感情移入するからこそ、記憶は意味あるものになっていくのかもしれない。
「もうひとつの感覚」
旅をしていると、ごくときどき、不思議な出来事に出会うことはあった。
それは、いわゆる心霊現象というほどにはっきりとしたカタチをともなったものでは無かったのだけれど、たとえそれが「気のせい」だったとしても、そういう「気のせい」があったことは、「真実」だと思う。




旅に出るまで、ずっと、自分には霊感が無いと思っていた。
でも今は、霊感は、あるか無いかではなく、気付くか気付かないかの違いでは無いかとも思っている。

ハンバーガーショップで、隣に座っている人がいる。
霊感のある人はそれを霊だと感じてしまう。
霊感の無い人はそれを人だと認識してしまうので、なんとも思わない。
そういう違いなんじゃないかと。
人の数だけ、真実はある。
そして、もしもこの二人が、お互いの意見を交換し合い、隣の人が「何か」確認することができれば、それが二人の「真実」になると思う。
そうやって、たくさんの人々が繋がって社会の中で認識された結果こそ、「現実」なんじゃないだろうか。
もっとも、この「現実」さえも、社会の数だけ別のものが存在するわけだけど。





沖縄にいたときは、結構、「見えない何か」に対する感性に敏感になった。
特に西表島なんかは、マラリアや炭鉱の強制労働、戦争被害などの暗い歴史があるせいで「霊感が強い人」にはかなり厄介な場所らしくて、心霊現象の話は常時耳にしていた。

一人で山に行ったり森に行ったり海に行ったりするたび、そういう噂を思い出して神経を尖らしていたんだけど、そのせいか、あるいは実際に霊感が強くなったのかは知らないけど、訪れる場所によって、胸の下あたりに「重い」感覚を覚えるようになった。

廃れたお墓とか、集落の人間以外立ち入ることが許されないウタキとか、廃鉱の建物とか。
あ、ここはこれ以上行ったらいけないな、と感じるようになっていったのだ。
これは、必ずしも、その場所の風景を見て、経験的に感じているのではなくて、その場所の空気というか、雰囲気を感じ取っているらしい。





道からちょっとずれた林の向こうに景色の綺麗そうな場所がある、と思って入っていく途中、ふと何かを感じて横を見ると、古い拝み場所があるなんてこともあって、例えば昔の人が神様を祭るのに「そこ」を選んだのと、同種の感性なんじゃないかとも思える。

別に特殊な能力じゃなくて、例えば、十分とか、一時間とか、人間て多少不正確だとしても、「時間感覚」を持っているものだけど、それと同じようなものなんじゃないだろうか。





西川個人としては、神仏も霊も、「ある」と思っている。
でも、「いる」かどうかは、分からない。

何か不思議なものがこの世界には満ちているのだけれど、それは人間の心が生み出しているものなのか、それともその外に確固として存在しているのか、証明する手段は今のところ無いから。

そして、自分にとっては、そういう「何か」が、「あれば」それで十分なのだ。
救ってくれたり、叶えてくれたりなんてしなくていい、ただ、そこにあってくれれば。
少なくとも今は。
- | 19:34 | comments(0) | -
「いつから日本?」


日本のことなんて何にも知らなかった三年前に比べたら、自分の目で見てきたぶん、少しは日本を好きになれた。
良い面悪い面ひっくるめて、良い面のほうが強いと信じられたから、「これが自分の国です」と、外国の人にも胸を張っていえるとは思う。

でも。
人間は五年もたてば体中の細胞がすっかり入れ替わってしまうそうで、国だっておんなじかもしれない。
部分部分を見れば五百年前も、千年前も、「この国」は日本だっただろうけれど、その日本が、今と全く同じものかといえばそうじゃない。
現代の日本人なら誰でも思い浮かべることができるだろう、地球儀の中の日本、日本列島のカタチ。
世界の中の日本。
それはきっと、世界地図なんて無かった時代の日本人が自分たちの土地として把握していた「日本」とは、全然別の姿なのだと思う。

この列島に人が住みはじめてから、今まで受け継がれてきたものはなんなのか。
いつからこの国は日本だったのか。
何をもって日本は、日本なのか。
縄文時代には全国で数万人しかいなかった人口が、弥生時代に大陸から人と、たくさんの人を養える稲作文化が入ってきて、何十、何百倍にも膨れ上がっていった。
それは、見方を変えれば、他国民族に侵略された歴史ともいえる。
現存する日本人は、北と南の土地に住むひと……江戸時代までは「日本ではなかった場所」に暮らす人々を除けば、「あとから入ってきた」民族の血を多く継いでいるらしい。

西川にとっては、この国は、自分の生まれた土地だから、自分は日本人だと思っている。
でも、もし、たとえば……、そうだなぁ、この国に一万年前から生き続けている人間なんかがいたとしたら。
今の日本人なんか、つい最近外からやってきて、ここは俺のだ、ここは日本だ、なんて騒いでいるガキんちょどもに過ぎないのかもしれない。

「ここ」がいつから日本だったのか分からないのならば、今だって曖昧だ。
自分たちだけではなく、周りから…諸外国から、世界からその存在を認められることで、ここは日本だと言うことができるけれど、いつまでそれが続くかは分からない。

百年先、ここは日本なのか。
千年先も、日本はあるのか。
何があれば日本なのか。
何が残れば日本なのか。
何が無くなったら日本ではないのか。
定義するのは、易そうで難しいといえる。

少なくともいえることは、そこに必ず「過去」が付随するものだと言うこと。
「過去」があるから、「国」の存在を定めることができるんじゃないだろうか。

日本を日本たらしめているのは、過去であり、歴史であり、人の繋いできた文化なんじゃないか。

「わびさび」なんて鎌倉時代の日本には無かった。
「桜」だって、昔は山にしか生えてなかった。
「みかん」も歴史時代以降に外国から入ってきたものだ。
「田んぼ」は弥生時代以降。
「漢字」だってそう。
「チョンマゲ」も戦国時代から。
「富士山」だって、有史以前は噴火ばかりで綺麗というよりは恐ろしい姿だった。
「カレー」も「ラーメン」も。
今ではすごくポピュラーなお惣菜、「肉じゃが」だって、明治時代にビーフシチューを元に海軍が作ったものだ。
主食の「米」ですら、アジアからもたらされたものなんだから。

今から振り返ればそれぞれ「日本人の心」とでも言うべき、原風景的な存在だけど、それがもたらされた、あるいは生まれたそれぞれの時代で見ると、それは決して「日本」を定義するようなものじゃなかったはず。
過去があって、時を経てこの土地で血肉になり、うまい具合に溶け込んだものの結晶。
それが、この国というものなんじゃないかと思う。


と、そんなことをとりとめも無く考えていて、ふと気付かされる。

テレビなんかで言われる戦争責任の問題について考える時、やっぱりどこかで、「自分たちの生まれる前にあった戦争の責任を、何で今の自分たちが払わないといけないのか」という思いを抱いてしまっていたけど……
良いとか悪いとか関係なく、過去があって形作られたものがこの日本なのだとしたら、自分が日本人であろうとするならば、対応をどうするかは別として、決して無関係ではいられないのかもしれない。

もしも、過去の戦争において、本当に成算するべき過去があるとして、それを自分の生まれる前のことだから関係ないと切ってしまうのは、この日本にあるあらゆるものとのつながりを否定してしまうことになるんじゃないだろうか。

生まれる前にあったことだから関係ないのならば、
「わびさび」も「桜」も「みかん」も「田んぼ」も「漢字」も。
「チョンマゲ」も「富士山」も「カレー」も「ラーメン」も「肉じゃが」「米」も。
みんな関係ないことになる。

それらは、確かに生まれる前からあったものだけど、今もあるのだから関係なくは無い……と言うのならば、戦争責任問題も、今も確実にあるものなはず。
過去の事実があったかどうかをはっきりと確認するのは難しいけれど、少なくとも人の思いは今に続いている。
自分が意識するしないは別として、日本人でいる限り、自分が日本人でいたい限りは、無関係、無責任でいることはできないのだと思う。

まあ、西川の場合は、そこで止まっていて、その先には意識が向かないんだけど。
その国に知り合いでも出来ればともかく、何かきっかけでも無いと、なかなか本気になって考えるとこまでいけないというのが正直なところ。

だいたい、海外ももちろんだけど、戦争責任を言うなら、国内にも考えなきゃいけない土地があるんだよな。
本土に米軍を上陸させないために徹底的に捨石にされて県民の四人に一人が亡くなり、今も多くの土地が米軍基地として使用され続けている、にもかかわらず、国民の大部分にそのことを知られていない、あるいは意識されない、南の県。
決して、関係なくはないんだから。



話がだいぶそれて、自分でもわけわかんなくなってきたけど、今回本来は、「日本」を考えるのはなかなか面白い〜ってことが書きたかった。
もし、タイムマシンを使って、旧石器時代人と縄文人と弥生人と平安貴族と鎌倉武士と戦国農民と江戸浪人と大正の西洋カブレと、昭和の人間を一同に介させて、「日本とは何か」を語らせたり、喧嘩させたりしたら絶対楽しいと思う。
答えなんて出ないだろうなぁ。
つーか、答えなんて無いんだろうなぁ。
石器時代人、強いだろうな。マンモスやサーベルタイガーを倒してた連中だもんなぁ。

なんて妄想しながら。
……創作のネタ、ちょっと、思いついたかも。

- | 20:52 | comments(0) | -
「記事を見返して」
今回は、自分の記事を見返して思ったことを少し、まとめてみます。
……この「風と日まわり」の旅は、こんな記事から始まっています。


自転車


「はじめに」

アシは自転車、野宿にテントの一人旅。
47都道府県庁の前で写真を撮り、東西南北日本の最四端の地に立つ、日本一周。
これが、今回行う旅のスタイル、及び目標です。

それ以外のことは今のところ特に決めていないので、好奇心や冒険心と相談しながら、気ままにやってくつもりです。

この日記には、そんな旅の中で感じたことを中心に書き連ねて行きます。

どうぞ、よろしくお願いします。



自転車



好奇心や冒険心と相談しながら。
この相談がいつも思い通りにいかないから困ったものなのだ。

好奇心「これ面白そうだぜ!」
西川「あ、でももうじき日が暮れるし」
好奇心「だから?さ、行くぞー!」

冒険心「この崖を越えるぞ!」
西川「え、でも落ちたら怪我じゃすまなさそうな…」
冒険心「よかったな!落ちなきゃ怪我しないってことだよ!さ、行くぞー!」


まったく、無事にゴールできてよかったですよ……
でも、「はじめに」の記事を書いた頃の俺は、まさかこの旅が二年半になるなんて、思いもしなかっただろうな。



自転車



2004.05.20 Thursday
「忍者」


今日は、忍者を求めて、伊賀上野の上野城を訪れた。

しかし、営業時間が午後四時半までらしく、到着したときにはすでに忍者は帰宅した後だった。

仕方が無いので、手裏剣でも落ちていないかと独り、雨の城庭を練り歩くが、見当たらず。

これじゃあ何の為に上野まで来たのか分からない。

仕方がないので明日は忍者を求めて、さらに山深くに入ってみようと思う。


自転車



アホですな。我ながら。
この日、半分本気で、どこかに江戸時代の手裏剣が落ちてないかとか、お堀の底にはきっと当時の忍者グッズが沈んでいるに違いないと妄想したりしていました。
そして、ちゃんと手裏剣を手に入れます。


自転車



2004.05.22 Saturday
「メモリアルアイテム:002 手裏剣」


「手裏剣」
種別:武器
三重・赤目四十八滝

どうしてか手裏剣が欲しかった。
しかしいざ手に入れてみれば、なぜこんなもんが欲しかったのか、自分が分からない。
当初のルートを変更して、山越えの険しい道を突破、ようやく忍者の修行地である赤目まで来た。
ただひたすら、忍者と手裏剣を求めて。

ようやく土産物屋で手に入れた手裏剣は、600円。
ちなみに一日の予算は500円。
大赤字。

あーあ。
仕方が無いので、金に困ったら、これで路上忍者ショーでもしよう。
そんな風に自分を納得させてみる。
・・・たいへん空しい。




自転車



この手裏剣は、かばんの奥底に突っ込まれたまま特に使われることも無く、赤錆まみれの状態で、旅の終わりまで供をしました。

当初は一日の出費を500円以内に抑えるべく努力していて、実際におおむねクリアできていました。
そのせいで、博物館に入ったりとかみやげ物を買ったり、美味しいものを食べたりなどは極力控えており、今となって振り返れば、「よく頑張ってたなぁ」と「もったいないことしたなぁ」という気持ちが半々ですね。

さて、旅立ってから数日がたった頃、「くっしい」を失ったことに気付きます。
思い返せば、前日の伊勢神宮参拝時に、池を泳ぐ蛇をバックに写真を撮った際そのまま置き忘れていたらしく。



自転車



2004.05.25 Tuesday
「メモリアルアイテム:005 ロストくっしい」

「ロストくっしい」
種別:珍獣
場所:三重県・伊勢神宮外宮

くっしいを失った。
数年前北海道で購入してから、どこか旅行に行く際にはいつも持って行って、写真に入れてきた、くっしいが。
気付いたのは、三重県庁に着いたときだった。
見慣れた姿が無い事に気付き、愕然とした。
鞄と服ひっくり返して探したけれども、どこにも見あたらなかった。

必死で行方を考えた。
最後に見たのは伊勢神宮。
・・忘れて来たのかもしれない。

すぐに神宮に電話して、警備の人に探してもらった、しかし見つからず。

今までの思い出だけじゃない、この旅を含めたこれからの風景にも、くっしいの写真は刻まれていたはずなのだ。
あんなちっぽけな、薄汚れた恐竜もどきだが、俺にとっては何にも代えがたい、思いでの詰まった宝物なのだ。
このまま何事も無く先へ進むことは、できない。
どうしても、アイツがいないと言うことを、俺自身が確かめなくては、くっしいの物語は終われないのだ。

だから、戻る事にした。

津から伊勢まで、片道約40キロ。
往復80。
今日一日が潰れるのは確かだろう。

でも・・・それがどうした!
全力で走り出した。

もう見つからないだろうなという確信めいた思いを胸の内に抱きながらも、伊勢の神様に祈りながら、走った。


辿り着いた。
最後に撮影していた池の前の椅子に、くっしいの姿は無かった。
諦めがついた。

椅子に腰を下ろす。

精一杯やったよな、俺。・・今までありがとう、くっしい。

自分に言い聞かせるようにそう呟くと、不思議と気分が和らいだ。
アイツはアイツで、俺の手元から旅だったんだと、そんな風にさえ思えた。
俺は俺の旅をしっかりやり遂げよう。

肩から緊張を解くように、ゆっくりと溜め息をつき、うつむいた。



足下に、落ちていた。
我が目を疑う。
転がっていた、ちっぽけな珍獣。
・・・くっしい。

本当に心底から、嬉しかった、あの喜びは何ものにも代えられない。
世界中の誰かに、感謝した。


さあ、旅はまだ、続く。
もうしばらく、こいつと一緒に!



「・・・デモサア」
「ん?」
「要スルニコレッテ、オマエガ一人デ置キ忘レテ、一人デ燃エテ、一人デヒタ走ッテ、一人デ見ツケテ、喜ンデルダケナンダヨネ」
「え・・」
「ツマリ一人相撲」
「言うなぁーーーーーっ!」
「幸セナ奴ダナ・・・」




自転車



くっしいは、西川が旅先で感じた想いを元に作ったキャラクターです。

はじめての一人旅、はじめて訪れた北海道、はじめてかもしれなかった心霊?体験。
輝く月の下で見た、屈斜路湖の不思議な生き物。
翌朝、あれはクッシーだったのかな、とぼんやり思いながら立ち寄った土産物屋さんで出会った、小さな怪獣のマスコット。
その日の晩にはすでにカレーの中に突っ込まれて(おもしろ写真撮るために)、のちにこの匂いが原因でキタキツネに食べられそうにもな

ったっけ。

あれから五年間、何度かの旅の中で、自分だけでなく、くっしいの視点からもものを見たり、感じたりすることを覚えました。
低い角度から見渡す世界。
いないとされている生物から見る、生態系。
伝説と、現実のつなげ方。
くっしいがどこから来たのか、空想するたび、物語は広がっていきました。

くっしいは多分、西川が作ったキャラクターであり、西川の分身でもあり、そして、失いたくない、西川の旅のすべてが刻まれた記憶装置でもあり。
でももしかしたら西川がただ勘違いしているだけで、本当は西川の頭の中に飛び込んできて、いつかまたふいと出て行く、妖精のようなものなのかもしれません。

ちなみに、日本一周の旅の当初は、くっしいは、後輩クッシー2号=Q2の「日本(珍獣界)征服」の野望を止めるために頑張っていました。
そのために各地で仲間を集めていきます。
最初の仲間は名古屋城で会った金のシャチホコでした。



自転車



2004.05.27 Thursday
「珍獣軍団追加:01」

「金の鯱が仲間になった!」

名前:未定
種族:金の鯱
種別:磁石付マスコット
出身:愛知県名古屋城
珍獣レベル:17
価格:320円

参戦コメント
鯱「名古屋は日本の中心だでよ。クッシーなんざ眼中ににゃーわ」
Q2「くっしい先輩、あんな事言ってますよ!」
くっしい「マアマア」
鯱「ほら、コケ臭くなるで、あっち行ってちょ」
Q2「先輩、駆逐しましょう、駆逐!名古屋城ごと焼き討ちです!」
くっしい「ドー、ドー」




自転車




旅を続けるうち、たくさんの人に親切にされた。
その思い出の数々は、今もちゃんと、記憶の宝箱にしまわれていて、忘れることは無い。
写真を見たり、記事を読んだりすれば、懐かしく思い返すことができるんだ。




自転車




2004.05.30 Sunday
「メモリアルアイテム:011 フィルムケース」

「フィルムケース」
種別:宝物
愛知県・犬山

元自転車乗りで全国あちこちを旅したと言うおじさんからもらった、一本のフィルムケース。
中には五百円玉が6枚、入っていた。
手の平の上の宝箱。

自転車こぐのは大変とは言え、自分の好きでやっていることである。
そんな自分が、一生懸命働いている人からお金を貰うというのは、あまりに申し訳ないと言うか、ルールに反していると言うか、とにかく

抵抗があり、勿論最初は断ったのだが。

何かしたいんだ、とおじさんは言ってくれた。
今あるものはこんなものだけだから、これを使って良い体験をして欲しいと。

思う。
良い出会いと言うのは、俺が感じるだけのものじゃないんだと。
俺が嬉しい以上に、相手にとっても、俺と出会い、話したことで、思い出になったり、旅の空気を感じられたりする、そういう御互い様に

嬉しい気分になれるのが、旅の、本当に良い出会いなんじゃないかって。


ほんのちょっとでいい。
気ままで適当にただ、旅してるだけの俺が、出会う人に、ほんのちょっとずつ「嬉しい何か」を残して行けるなら。
いつか振り返ったとき、この旅は本当に素敵なものであると思う。


まあ、今はただ、毎日をマイペースに進んでいくだけだけれど。





自転車




……このときいただいたお金は、一年くらいかけて少しずつ使わせてもらった。
美味しいものを食べたいとき。
見たい場所に行くのに、入場料がかかるとき。
少しずつ、少しずつ。

おじさんに直接再会することは、もう無いかもしれないけれど、でも、この気持ちを忘れずにいて、いつか俺も別の誰かに親切にしてあげ

られたなら、それが旅でもらった幸せを還す、ということなんじゃないかなって、思っている。


さて、この旅は、人や美しい風景だけではなく、西川が今まで知らなかった伝説や神話とも出会わせてくれた。




自転車






2004.05.31 Monday
「水辺:008 お姫渕」

場所:岐阜県・七宗
種別:甌穴
生息珍獣:なし(竜宮の住人)
備考:甌穴=ポットホール。川底のくぼみに小石が入り、激流でくるくる回って、永い年月をかけて岩壁を壺のようにくり抜いたもの。天然記念物。

この池は竜宮城と繋がっているらしい。
昔は、とても美しい乙姫様の侍女が住んでいたらしく、祭りなどでお膳やお椀が足りない時には貸してくれていたらしい。
しかしある時村の一人が借りたお膳を壊したまま黙って返したところ、二度と願いがかなうことは無くなったと言う。


西川「さて、行くか」
くっしい「ドコヘ?」
西川「お前アホか?竜宮城に決まってるだろ!」
くっしい「(アホはお前だよ)」
西川「この池が別の空間に繋がっている事はすでに実験済みだからな」

と、言って西川が差し出した手の上には、首の無くなった鯱と、おまる(鳥型珍獣)の姿が。

西川「こいつらの頭部は、一足早く竜宮城へトリップだ」
くっしい「ヒドイ・・・」
西川「さあ、いざ行かん!めくるめく竜宮のくにへ〜!」

ざぶん、ぶくぶく・・・

赤茶けた、なんかいろいろ浮いてる池に、顔を突っ込む西川(←アホ)。

十秒経過。

西川「・・・ぷはっ!こ、ここは?!」
くっしい「安心シロ、竜宮城ジャ無イ事ハ確カダ」
西川「・・・帰ってきた、のか。まあ、戦いも終わり、竜宮城にも平和が戻ったんだ。ちょうど良かったんだよな・・・鯛やひらめの舞い

踊りも見たし。絵〜にもかけない美しさ〜♪」
くっしい「・・・オ前、大丈夫カ?」
西川「気にするな。お、あいつらも帰ってきたな」

そう言って、水面に浮かんで来た鯱とおまるの頭を拾いあげ、西川はその地を後にしたのだった。




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日本一周することを見据えて、序盤から伏線を張っていたのです。
時間があまり無かったのでこの記事ではあまり触れていませんが、実はこのとき、西川の精神は竜宮城へ行き、手下の珍獣たちとともに竜宮で起きた事件を解決した、という設定になっています。

のち、日本海側で浦島伝説の地からもう一度竜宮城を訪れるという話に繋げる予定でした。
また、このときに供をした鳥型珍獣おまるは、旅の中盤に紛失してしまいましたが、その精神のカケラが最初に竜宮に行った際そこに残されていて、だいぶ後になってから竜宮から帰ってくる、という後日談があります。

竜宮の神話は、全国各地にあり、日本を一周する際の目安のひとつとしても面白い対象でした。
平安時代以前の竜宮伝説は、本来は海の底では無く、海の向こうにある蓬莱島、あるいは常世のクニ、根のクニだったそうです。
それが時代が下るうちに、海の底の御伽噺と化してしまった、島国に生きるものの心の原風景。
生粋の内地人であっても、沖縄の「ニライカナイ」に憧れる気持ちを抱いてしまうのは、きっと、その根が同じだったからなのだと、信じたいんです。



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2004.05.31 Monday
「水辺:009 赤池」

場所:岐阜県・七宗
種別:池
生息珍獣:なし(大蛇)
備考:この七宗の村には伝説が多い。

この池に注ぎ込む川の上流には昔、恐ろしい大蛇が住んでいたそうだ。
そこで猟師の五兵衛さんが出かけ、悪戦苦闘の末、火縄銃で大蛇の頭を撃ち抜いた。
蛇は山鳴りとともに池へ崩れ落ち、その日から七日七晩、谷から流れた蛇の地が、池を赤く染めたと言う。

西川「じゃ、やるか」
くっしい「今度ハ何ヲ?!」
西川「飲むんだよ」
くっしい「ハア?!」
西川「ここの水、実際に褐色ぽいし、鉄分を100ppmとか含んでいるんだって」
くっしい「ダカラ?」
西川「味を確かめるんだよ」
くっしい「ワケ分カンネーヨ!」


別に普通の味だった。
しかし、火縄銃がある時代ってことは、古くても五百年も昔じゃないだろう。
それ以前は、この池は赤くなかった、と言うことなのか。
五兵衛さんが蛇を退治したのと同時期に地震が起きて、大量の鉄分を含む地層が地表に出て来て、池に流れ込んだ、とか。
はたまた、昔話のとおりの大蛇退治があったのか。
はたまた古代、この辺りに製鉄所が存在したらしいことと、何かかかわりがあるのかもしれない。


いずれにしろ、伝説の誕生する瞬間と言うのを、目の当たりにしたいと強く思う、今日この頃である。




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伝説は、生き物です。
たかが数十人のバケツリレーの伝達でさえうまくいかないものなのです。
それが時代を経れば、人の意思、無意思に関わり無く、進化したり退化したり、絶滅したり、分裂したり、異種繁殖したり、変化していき

ます。
だからその本質を見極めることは、とても難しい。
生物のようにDNAを調べることが出来ないのだから、歴史や当時の風俗、他の類似の民話・伝説との比較などから何とか、その起源を推測し

ていくことしか出来ないのです。

だから、面白いんですけどね。

さて、そんな「伝説」にも色んなジャンルがあります。
古代神話、都市伝説、UFOなんかもそうですね。
もちろん、UMAもそう……



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2004.06.01 Tuesday
「珍獣File:008-1 ツチノコ」

めずらしさ☆☆
おかしさ☆☆☆
こわさ☆☆☆☆
珍獣レベル11
種別:蛇?
保持技能:いびき、ジャンプ、大回転移動、冬眠、他多数

日本で1番有名かつ信憑性の高い(?)UMA(未確認生物)。

ツチノコ、漢字で書くと槌の子である。
文字通り「槌に似ている」事からつけられた俗称で、現在全国共通の呼称となっているが、実は北は東北、南は九州まで約40の地方名があ

る。
野槌、ゴハッスン、コロリン、ヨコンボクチナワ、タワラヘビ、トックリヘビなどなど。
いずれもツチノコらしい形を言い表している様にみえる。
つまり、「槌のような形をした妙な蛇」が、古くから日本中至る所で見られていた、という事になる。

ちなみにツチノコの事は、古くは古事記に記されている。
「次に野の神、名は鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)を生みき。亦の名は野椎神(のづちのかみ)といふ」。

また、江戸時代の百科辞典「和漢三才図解(わかんさんさいずえ)」では、ノヅチは深山に棲み、頭と尻は同じ大きさで、槌に似て柄がな

いので俗に野槌と呼ぶ、と現実の生物として扱っている。

「特徴」
体長:30〜80センチ位
体色:黒褐色、焦げ茶色、黒、灰色、銀色(腹部黄色、背に斑点あり)
口の中は赤い。
体型:ビール瓶くらいの胴から三角形の頭がちょこんと出ている。尻尾は鼠のそれに似ている。

その他
・行動は敏捷かつ派手。時に2メートル跳ねたり、崖を回転しながら下ったりする。
・垂直に立つ。
・蛇行せずに真っ直ぐ、前後へ移動できる。
・巣穴は樹木の多い水辺の近くにあるらしい。
・犬を食い殺した例もあるらしい。
・冬には冬眠する。
・なかなか発見されないのは極端に光を嫌う夜行性だからと言われているが、夜に見られた事がほとんど無い上、昼間の茶畑で昼寝してい

るところが何度も目撃されている。
・雨が降ると鳴くことがある。
・イビキをかく。
・まばたきもするし、目玉も動く。

全国に分布しているが、山深く清流のある村でよく目撃される傾向にあるらしい。
東白川村はその最たる場所である。


「追記」
実はツチノコの目撃例と言うのは、圧倒的に地元の方のものが多い。
畑仕事していたり、道を歩いていたりして遭遇するそうだが、当然地元なので、普通のヘビは見慣れているのだ。
そんな人達をして、「あんなものは見た事が無い」と言わせるのだから、それが未知の生物であれ、突然変異であれ、牛の糞飲み込んだマムシであれ、誰かが逃がしたコブラが野生化したものであれ、とにかくその土地で、本当に珍しいものである事は、そしてそれがこの日本に存在する事は確かなのだろう。
目撃した人間全員が幻覚を見たと言うので無い限りは。




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「ツチノコなんていないだろ」と日本人の大半が思っているだろうこのご時世においても、ツチノコが絶滅しない(存在を忘れ去られない

)のは、「でも……もしかしたらいるかも」と思う人がその存在を保護しているからだと思います。
俺も、「でも、もしかしたら」の心を、忘れずにいたいものです。




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さて、あらためて「風と日まわり」を見返して思うのは、「なんて見づらいページなんだろう」てこと。
三日遅れ、一週間遅れ、一年遅れの記事が混在しているこんな旅日記がほかにあるでしょうか。
中盤なんて特にひどいですね。
沖縄と北海道の記事が交互に更新されてて、めちゃくちゃ。
「あなたが今どこにいるのか分かりません」なんてクレーム?が来たことあったけど、確かにワカラン。
なんてチャンプルー。

こうやって、まとめるために記事を読み返すのも大変です。


ところで、この二年半で、写真はそれなりに上達したんだけど、文章表現は全然変わってない気がします。
知識はともかく、表現能力だけでいったら、序盤の頃のほうが上なんじゃないかとも感じて、ちょっとショック。
まあ、現在の文章を、客観的に評価できないってだけかもしれないですが……でも、なんだかなぁ。

ともかく、これについては、今後も精進していきます。
いちおう、文章を書くということが、自分の生き方のテーマというかアイデンティティみたいなものですから。
どうせ書くなら、良いものを書けるようになりたいですしね。









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